そのときの等身大の自分を綴る場です。
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Whyに答えるということ
 なぜ?って問いに対して答えられるようにすること。

これってなんだかWHYを5回繰り返すとか、VisionやConceptの明確化とかなんだかビジネスのフレームワーク的な文脈で語られることが多くて、そんな現実的な考えに支配されなくてもいいんじゃないかと少し思うときがあるし、そう思えたことで救われたこともある。

ただ、それでも人に何かを伝えたいとき、その根拠が伝わらないと相手は納得できないし、共感もできない。本当に大事な場面で自分が相手に何かを伝えてわかってもらいたいとき、なぜ?って聞かれてしっかりこたえられないことはものすごく辛い。

自分の直感や感性に従って動くことが大事だと思うし、そこから先に必ずつながるものはある。ただ、一方で自分の中で感じたことを言語化する訓練を怠ると結局困るのは自分。直感に従うことを思考から逃げることと履き違えていたような気がする。

今からでもたぶん遅くない。
今改めてなんで?と自問してみる。
もう一歩先を考えてみた

なかなか印象的なイベントがあったので、ちょっとメモ。

Fathering Dialogueという
Fathering Japan Student'sが主催しているイベントに参加してきました。「父親になることを想像する」きっかけを提供することをビジョンに掲げて活動している団体で、イベント趣旨としては仕事と家庭を両立しながらやってきたイクメンパパ達の話を聞いて、その後に座談会をやるといったもの。

別に家庭を持ちたいとか子どもがほしいって願望がそんなに強いわけではなかったけど、なんとなく将来的にはそうなればいいなくらいな感じだった。

ただ、就活ってワードが身近になってくるなかで、やりたいことは何?仕事って何?そもそも今こんなことやってていいの?みたいなことを考えることがちょっと増えつつあった中で、FJSの代表の方から声をかけていただいて、「父親になることを楽しみに思えたら就活への姿勢や会社選びの価値観も変わってくるよ」と言われて就職よりも一歩先のことを考えてみるのも面白そうだし、何よりそのへんを今まで考えなさすぎだったなって思ったのが参加したきっかけ。

参加してみてまずは、自分の育ちの関係上転勤ってものが気になっていろいろ質問してみたら単身赴任制度は日本独特の制度で欧米先進国に行って英語で説明するのがちょっと面倒だったりするらしく、経済成長を重視して合理性を追求する国において生じやすい状況だってことが印象的だった。

そのあと、たくさん話を聞かせてくれた商社で働きながら地域活動、NPO活動、子育てとどれも頑張ってるイクメンパパの話もすごく印象的で、ワークワイフバランスとか言っても男性はやっぱり仕事優先になりやすいし、仕事上の付き合いを優先しているとどうしても家庭がなおざりになる。それはある程度はやむをえない。ただ、その人は育児もちゃんとやりたいために、遠方への転勤をやめてほしいことを上司に伝えたり、急な飲み会の誘いを断ったりすることもあるとのこと。ただ、組織においてノーを言うことはとても勇気がいるし、難しいことじゃないんですか?という質問に対しては、「そこは個人としての力が問われる」とのこと。つまり、仕事で成果を出せたり、まわりから信頼される人柄だったりといった部分がちゃんとある人は、組織においてノーといってもそれをまわりが許容してくれやすい。そういう意味で力があって仕事のできる人ほどいい親でもあったりするらしい。

このときにちょっと思ったのが、やっぱり組織に入っても力のある人は自分なりの立場を築いて自分のやりたいことをやっているということ。これは以前地方紙の記者の人の話を聞いていても近いものを感じたことだった。

幸せな家庭を気付いて、慎ましくても幸せな日々を送るっていうのと仕事でガンガン成果を出して活躍するっていうことを二項対立的なイメージで考えていたけど、それはどうも違うようだ。

そんなわけで、まずは自分の力をつけて仕事の成果を出せる人間にならないとどうにもならんなと。

今回会った子育てをベースにして、自分の仕事をはじめとする生活を形成している人の話を聞くのはとても新鮮だったし、何より自分のベースが何なのかがはっきりしている人は強い。そして今日話した人は深みがあってすごくかっこよかった。

自分の根底として何を大事にしたいのかは、まだちょっと見えてこないけど、少し自分の認識を深められた気がした1日だったのでちょっとメモ書き。



笑い飛ばす

普段悩んだり考えたりしてるほとんどのことは、長い目で見れば結局はしょうもないことで笑い飛ばしてしまえるようなことだと最近思う。というか思えるようになってきた、という方が適切なのかもしれない。

以前お世話になっている方に「世の中本当に悲しいことなどを除けばだいたいのことは笑い飛ばせるもんだと思っている」って言われたが印象的で、実際にその人は本当に楽しそうによく笑う。

その言葉を聞いたときは、なんとなく「この人は自分とは違うな」って考えてそういう前向きな考え方を自分の中で遮断したし、悩んだりするってことはそのことについてちゃんと考えているわけだから、悩む自分も一概に否定できるもんじゃないと思ってた。

ただそうはいっても最近思ったのは、物事を前向きに捉えているときの方が精神的に楽だし、そういう人は傍から見ていてなんだか気持ちがいい。

ときどき「忙しい」って言葉について考える。よくあるのが自分で選択して自分で忙しくしておきながらマイナス思考に走るパターン。別にそれで何を考えようと個人の自由だけど、それで露骨な愚痴を吐いているのはださいし、見ていていいもんじゃない。昨年の自分を振り返ってみるとまさにそんな感じだったなって思うけど。

友達に指摘されて、忙しいって言葉は言わないように意識してきたし、何よりも自分で今の状態が多少しんどくても忙しいとは思わないように意識してきた。実際に本気で頑張ってる社会人に比べれば学生がいくら忙しいとか言ったところでたかが知れているわけで。でも、やっぱりしんどいときは辛いって吐き出したいし、自分が追い込まれていることを誰かにわかってほしいと思う。そんなときについ誰かに愚痴ったり、ツイッターで吐き出してしまいたくなるけど、それもなんだか違う気がする。

そういうときは発想を切り替えて、今の状態も結局は些細なことにすぎなくて笑い飛ばせるようなもんだって思えるとちょっとだけ気が楽になる。

ここのところ前向きにならなきゃやってられないような状態だったからそんな発想ができるようになったのかもしれないけど、ある程度は自分の感情もうまくコントロールできるもんなんだなって思えるようになったのは自分の中では大きい。

ゼミとか演習とか学生団体とかバイトとかでちょっとしんどいな、とか人間関係で悩んだりうまく成果が出ないで悩んだりすることは今でも多いけど、最終的には全部笑い飛ばしてやっていけたらいいなって思うし、最近はうまく発想が切り替えられるからわりとうまく自分をコントロールできている気がする。大事なのは心の持ちようだとつくづく思う。

後期になれば自分もどんどん就活クソヤロウになっていくと思うし、その過程で悩むことも多いと思う。実際に今でも自分の夢とかビジョンなんてわからないし、本当にやりたいことって何だろうって考えると答えが出ずに泥沼にはっていく。ただそれでも最終的にはそんなことも笑い飛ばしてやっていけたらいいなって思うし、うまくいかなかったらちゃんと反省してそれすらもネタにして笑い飛ばしてしまえばいい。結局は長い目で見れば大したことじゃない。矛盾しているかもしれないけど、今を大事にしつつもそういう視点でものを考えることも大事かなって思うし、些細なことで悩まずに笑っていられる人間でありたいなって最近思っています。



ハコありきな状況からいかに自分の文脈に落とし込むか
なんだかんだで気付けば6月の下旬。3年生になってから時間が経つのがものすごく早い。

ここ最近は自分勝手なことばかり考えたり、それが行動に出てしまったりとだいぶ迷走しまくった。

代表としての仕事が空回りしたり、自分の中で「なぜやっているのか」っていう問いに対して自分の文脈で語れずに、どうしても「代表をやる」というハコが先にある状況になってしまっている自分に対する苛立ちがすごく大きかった。

何をやるにしても、「○○のためにこれをやる」っていうビジョンありきの状況が理想だと思うし、学生団体やNPOなんかは創設者がビジョンを持っていて、そのための手段としての団体だから勢いがあってがんがん突っ走れるんじゃないかと思う。

ただ、自分はそうじゃなかった。誰かが引き継がなきゃいけない状況で、自分の中で意味付けができていない状況でやらざるをえない状況からのスタートだった。

何をやるにしても、ハコありきの状況で始める場合は特に「何のためにこれをやるのか」っていう問いかけが当たり前だけどすごく大事だと思う。イベントをやるにしても、フリーペーパーの制作でも、自分で記事を書くにしても、それらをやることが目的化して「何のためにやるのか」よりも先に来てしまっている場合は、どうしてもアウトプットの質に影響が出てしまうんじゃないかと思う。

現在お世話になっているオープン科目のゼミの授業で自分でテーマを決めて1本ルポを書くことに取り組んでいます。そのときに先生が言っていた「何のために何を書くのかを語れずに、やらされている感覚が残っているうちは、本当に人の心に響くものは生み出せない」って言葉が自分の中ですごく腑に落ちた。

きっとイベントなんかの運営でもある程度ノウハウが蓄積されていれば100点中70点くらいのものは出来上がるんじゃないかと思う。でも、それじゃあまだ足りてない。そこを補うのは、やっぱり「自分の言葉で何故やるのか」を実行する人間が語れるかどうかなんじゃないかと思う。それがあるかどうかがきっと告知文の細かい言葉遣い、当日の道の誘導、細かい対応、プレゼンのパワポの資料のちょっとしたこだわりなんかの「相手の立場にどれだけ立てるか」って部分に現れてくるんじゃないかなって最近感じる。

だから当事者達が本当に自分の中の問題意識や問いをもとに動いている団体の実行する企画は響く。それは就活のネタを作るために動いてる人にはできないこと。意識の高さを飾りにしている人にはできないこと。人を説得できても共感を生むために一番大事なのはノウハウじゃない。

この「自分の文脈に落とし込んで語る」って部分がずっとできなくてハコありきの状況で悩んでばっかりだし、今でもわだかまりを感じている。

だけど、漠然と将来について考える中で、自分はどんな人間になりたいんだろって考えたときに、「一歩先まで想像力をめぐらすこと」ができる人になりたいし、それが今の自分に足りてないから人に寄り添えないし、相手の立場にたってものを考えることができない。人と真摯に向き合うことができない。

今の自分があるのは、今の団体での体験が原点にある。ちょっとずつやりたいことが見えてきて2年の後半からの大学生活を大きく変えたようにも感じる。それが最初は些細なものだったとしても自分にとっての原点だし、そういった大学生にとっての原点を作り出せる可能性が溢れているプラットフォームだからこそ、今後も存続させる価値はあると思う。だからこそ、自分の代で終わらせたくないし、今後も続いていってほしいと思う。上から何と言われようと譲れない部分は守りたい。仲間や後輩のことを考える余裕を忙殺される中で失ってしまっていたし、そこは自分のことばかり考えている普段の状況から一歩先まで考えれば見えるものだけど、それが見えていなかった。

だから自分勝手なことだけやって放棄せずにちゃんと引き継いで存続させたいって気持ちが今は強い。それは手段が目的化してまだ自分の文脈に落とし込めていないって捉えることができるかもしれない。でも、少なくともこれも今の自分の等身大。一度ここでそれを吐き出しておきたかった。何より自分の中でのやるべきこととか原動力が少しわかった分前よりはちょっと進めた気もする。ちょっとはハコありきな状況から抜け出せてきている気もする。ちょっと自信も持てた気がする。前向きに捉えたい。いろいろヒントをくれた人達に心から感謝です。



冊子作りました。

■最近の自分

なんだかんだで4月も終わりが近づいてきた。

この一ヶ月自分は何をやっていたんだろう。

勉強も課外活動もなんだかいまいちだ。自分のプロジェクトは止まり、団体としても頑張ってはいるが、次のステップにいくまでの距離が長い。 今月読んだ本もせいぜい6、7冊程度。 海外メディアの情報をもっと取り入れることができるようになりたいと思ってはじめた英語の勉強は続いているし、新聞も毎日読んでいるけど、どれもなんとなくだらだらと続いていっている感じ。

実家に帰ったとき、中学からの親友と2人で飲んで近況を聞いたら公務員試験に向けて頑張っていた。先輩たちも内定が出始めている。

そんな話を聞いていたら自分がなんとも情けなくなってしまった。

■これからの自分

前期はゼミや副専攻のジャーナリズムの勉強をがっつりやりつつ、あとは今取り組んでいるプロジェクトにコミットすることにしました。9月で引退することになるので、最後の集大成としてやりたいことをやりきってから終わろうと思います。去年から一緒に活動してきたメンバーと活動できる時間も限られているので。

夏にインターンに行くことも検討中です。今のところ地方の新聞社に夏休みを使って行ってこようかなと思っていたりします。漠然とジャーナリズムの領域に興味を持って勉強してきたものの、具体的にその業界で働くことに対する自分のイメージと現実との間のギャップは確実にあると思うので、やっぱりまずは自分で足を運んでみてどんなものか様子を見たり空気感を知ることから入りたい。

進路についてはまだ全然決まってないけど、やることやって、あとは就活のときがきたらそのときの自分の視野で判断するしかないし、院も考えたりしたけど、まずは就活する前提で頑張っていくことにしました。

あとは、とにかく本を読む時間を大切にすること。毎月読んだ本を整理して、メモとしてブログに書き残していこうと思います。


■冊子作りました

実は3月にフリーペーパーを発行しました。広告収入に基づいたモデルではないので厳密な意味でフリーペーパーといえるかどうか、という話はあるので、あえて「冊子」という言い方をします。

WEBサイトで掲載してきた記事を再編集して、1冊の冊子としてストーリー性を持たせたもので、新入生向けに各大学で配布しています。

もし興味があれば気軽に連絡をください。持って行きます。

今回久しぶりに冊子作りをやって思ったこととして、冊子作りはメンバーにそれなりのコミットが求められるために起こりうる懸念事項が案の定顕在化した。

今回はリーダーとしてのマネジメントや細かい気遣いが雑になっていたことは否めない。お金をいかに集めるか、期限になんとしても間に合わせる、とかそんなことしか考えてなかった。結果、人を傷つけた。

1冊の冊子を作るにあたって、読者にわたるのは完成品だけで大事なのは結果。コンテンツが面白いか否かが大事で、つまらなければただの紙ごみ。

でも、一つのプロジェクトをチームとしてやる以上、振り返ったときに、「全体としてどうだったか」ということも大事だけど、「個々人としてやったことはそれぞれ何で、何が良くて何が良くなかったか」っていうのを考えてみたとき、リーダーと一部の人間がガッツリ進めて他の人達はあまり達成感を感じていなかったとしたら、質の高いアウトプットが出来上がってもなんだか虚しい。

ある友人がフリーペーパーを作るとき、「俺は皆で作りたいんだ」って言ってた言葉がなんだか腑に落ちた。

今の自分は1年生のときに比べてノウハウも蓄積されてきたし、いろんなことができるようになってきたとは思う。だから冊子作りも以前に比べて短期間でやりきることはできるようになった。でも、自分一人ががっつりやって60点の成果物ができても、たぶんそこ止まり。うまくまわりを巻き込んでメンバーと対話を繰り返しながら作っていかなきゃ本当にいいものはできない。

ワンマンでほとんど1人でやって「自分はできる」「俺だけ頑張っていてえらい」とか思ってる学生団体の代表とかってちらほらいる印象があるけど、そんなのはリーダーだとか代表だとかって肩書きに酔ってるだけなんじゃないだろうか。少なくとも自分はそうはなりたくなかった。が、なりかけていた部分があったことにメンバーのおかげで気付けたのは、すごく大きなことだったのかもしれない。

反省点はいろいろあるものの、記事の内容等はなかなか面白いものができたとは思うので、是非読んでいただければと思います。

日常に戻る
 久しぶりのブログ更新。

2月の末あたりからは、小冊子の制作、ワークショップ開催、演習形式の授業での中国研修と、ドタバタしてて、一段落しそうなときに地震が起きた。

地震、津波、放射能の影響に苦しんでいる人達がいることを考えると、自分は本当に運が良かったとしか思えない。阪神淡路、中越地震、そして今回の震災とどれも経験したけど、いつもギリギリで震源地域から外れているおかげで生き延びてこれた。常に自分が当事者になりうる可能性がある。

最近は少し世間の雰囲気も落ち着きが戻りつつあるけど、それでも不謹慎・自粛の言葉が蔓延している。被災地のことを考えるのはもちろん大事だけど、被災しなかった人間としてやるべきことは長期的に考えれば、日本経済がこれだけ打撃を受けているときだからこそ、生産・消費をまわすことで経済を少しでも動かしていく責任があるんじゃないかとも思う。もうそろそろ日常を取り戻して前を向いて自分達がやるべきことをやる時期がきているんじゃないかと思う。

そんなわけで、僕は自分のペースを取り戻すことも兼ねてブログを再開して2月、3月の自分を振り返っていきます。なんだか最近ブログで面白いもの書かなきゃって強迫観念に駆られていたけど、よくよく考えると自分のブログの目的はあくまでも自分の思考の整理であって、等身大の自分を書き記すこと。
だから他者に見られていることを前提としつつも、1、2年のときはそのときそのときで思ったことを考えすぎずに言葉にしてきた。でも、最近は記事を書いてる途中で「もっと考えたい」とか思って、中途半端になって下書き保存の記事がどんどん増えてしまっていた。

半年間お世話になった勉強会フレッジ、新歓に向けて取り組んだ冊子の制作、ジャーナリズム演習の授業で言った中国研修、そして今回の地震に対する自分の思ったことや考えを区切ってまとめていこうと思います。

まずは半年間コミットしたフレッジが終わったので、その振り返りから。




僕のグループでやった安部公房「箱男」の世界を体験して再表現するワークショップ。「本」に対する学びの深め方として、読書会の延長的な感じでやりました。



知り合いに声をかけてもらってなんとなく参加した勉強会だったけど、ワークショップ運営のノウハウ、「学び」というものに対する考え方、プロジェクトにおける自分の取り組み方っていう大きく分けて3つの点でとてもためになった。

文献の輪読⇒発表⇒ワークショップの企画、実践、⇒報告

というステップで進んでいったわけだけど、ワークショップ実践の準備は特に大変だった。

やっていくうちに、ゴールとしての落としどころを意識する考え方だったり、空間をいかにうまく使うか、という部分でのこだわり方など、今まで自分が関与してきたイベントも「もっとこうすればうまくいったな」って改善点が次々と出てきた。そういうノウハウ的な面でも勉強になったし、文献の輪読を通して活動や共同体というものに対する考え方も広がって、自分が普段取り組んでいるプロジェクトを違う視点から捉えることができたのも面白かった。

今までは、自分が取り組んでいる活動の成果を社会貢献性だったり、いかに数値化するかっていう部分に捉われていたけど、活動を一つの大きな参加型の学習と捉えることができる考えたとき、そこから自分が何を学んでいるのかという、「個人のとしての学び」という部分をもっと大事にすべきなんだということが一つの気づきだった。

自分はまだ学生という立場であって、あくまでも社会人になるための準備期間。ただ、自分の中でちょっとした意地のようなものがあって、「自己成長」を目的化しすぎることをなんとなく嫌悪していた。でも、それ自体がよく考えると自惚れだったなって思う。まだまだ学び続けなければいけない立場。それは社会に出てからも一生変わらないけど、特に今は自分にとっての成長をもっと意識しないと結局何も成し遂げることができないんだと思ったりもした。


今回一緒に取り組んだグループの人達が僕から見るとレベルの高い人達だったから、ついていくのでいっぱいいっぱいな部分もあった。だから自分に対する指摘をいろいろもらえたことが、今後何らかのプロジェクトに取り組んでいく上で大事なことだったし、価値観も所属するコミュニティも全然違う人たちと一緒に何かをやるっていう部分においても貴重な体験だったと思う。

ワークショップ実践が終わって、その日の振り返りをしているとき、リーダーの先輩からの自分に対する2つの指摘がすごく的を射ていた。

1つ目は、自分の成果物に対してこだわり抜いていないということ。つまり向こうから見て、自分が納得せずに提出しているということが見てわかるということ。2つ目が、振られた仕事に対して、情報を収集する部分まではよくても、そこから自分なりに最善の選択を考えた上で提案する、という段階まで持っていけていないということ。つまり、最終的な意思決定をリーダー任せにして自分が「考える」というステップを省いてしまっているということ。

どっちも、一つ前の記事に書いた、〃覯未砲海世錣襦´考えることから逃げない っていう2つに該当していて、見事に見抜かれたなって思ったし、自分の中で心当たりがあったのに見て見ぬふりをしてきた部分を指摘されて、すごく刺さった。でも、それが最近の自分に大きな影響を与えている。

それと言われた言葉で印象的だったのが「考える機会はチャンスである」ということ。自分は元々頭がいい方ではないし、クリエイティブなタイプでもないため、ある程度考えて答えが出なかったときは割り切ってしまう部分があった。でも、よく考えるとそれはとてももったいないことをしてきたんだな、とも気づけた。

反省点がたくさんあったし、最終報告会での先生達からのフィードバックは好意的なものもあればすごく厳しいものもあって、なんともいえぬもやもやした感じがあったとき、最後に先生が、「もやもやを残さないと次につながらない。満足して終わるとそこで止まってしまう」 「ワークショップの際、100を振りふるとしたら 準備:当日:振り返り の割合は50:20:30。ただ、振り返りは次への準備だから、80が常に準備」って言葉もすごく印象的だった。これはワークショップに限らず他のいろんなことに言えることだと思う。

この半年も自分にとっては次への準備だったんだと捉えて次に繋げて行きたい。曲りなりにも今は一つの団体の代表として活動しているわけで、ここでの学びを生かす機会は存分に溢れている。

自分がメインにしているコミュニティから一歩外に出てみる中で、とても面白い人たちが集まったコミュニティに出会えたことは貴重な財産だと思うし、何より人として魅力的な人がたくさんいた。4年生も多くて、4月から社会人や院生になっていく人たちもいる。そんな中、自分も3年になって折り返し地点がきた。自分が1年後、2年後にあんな風になっていたいなぁと思える人達と出会えたと思うと、そういう意味でもとても意味のある半年間だったと思うし、今後も今回の縁を大事にしていきたいです。
その場にいるだけで満足していないか。

所属して、その場にいることに満足してしまっていないか。

自分の肩書きや役職についていることだけに満足してしまっていないか。

優秀な人たちの集まりの中にいることに満足してしまっていないか。


自分の最近の思考停止のひどさに対して嫌気がさしながらもついつい考えることから逃げている。自分がいる場所で自分に何ができるか考えて具体的な行動に移す。そして結果を出すってことが最近まったくできてない。

演習の期末課題の取材記事を提出するとき、自分の中で全力を尽くしたと思えるものじゃなかった。もっと事前調べをしてから取材に行くこともできた。再取材をもっと重ねることもできた。にもかかわらずどこか妥協してしまった。結果として自分の満足のいくアウトプットが出せなかった。

自分が取り組んでいるいくつかのプロジェクトを振り返ってみてもどこか「こなすだけ」になってしまっているんじゃないかとふと思った。

小冊子の作成は自分がリーダーとして果たすべき責任が「とりあえず形にすること」になってしまっている気がする。フレッジのワークショップ企画も心のどこかで先輩たちに甘えてしまっている。

最初に取り組もうと思ったときの気持ちを忘れて日々の忙しさの中で妥協を重ねてしまう。さらにマルチタスクが苦手なためにすぐに余裕がなくなるっていう悪循環。

そんなわけで今年の目標がちょっとずつ見えてきた。

々佑┐襪海箸ら逃げない
結果にこだわる

このへん意識していきたいです。

自分の言葉

自分の言葉って何だろ。

最近思った疑問。

うまく言語化できないけど、それでも自分の中ではなんとなくぼんやりとはわかってる気はする。


最近プレゼンしてるとき、なんだか自分の話している言葉が宙に浮いてしまっているような感覚になる。自分が納得して共感したものじゃないからなのかもしれない。終わって帰るときに、自分を作ってなんとなくそれっぽいこと話してる自分にものすごく嫌悪感を抱く。


そんなときはいくらロジックが通っていても自分の言葉に自信を持っていないし自分自身が共感していないんだから人の共感を生めるはずがない。

ロジックはあくまでツール。大事なのはうまく話をまとめられる力でもなければ、それっぽく相手を説得する力でもない。もっと大事なものがあると思う。


以前、ある人に「普段何してるんですか?」と聞いたら、自分の取り組んでいることを語ってくれた。その内容はすごく共感できるものだった。でも自分がそこに対して共感できたのは、何より目をキラキラさせながら「自分の言葉で」語ってくれたことが大きかったのかもしれない。


最近、自分がいろいろな面でブレまくってるから自分の言葉がなかなか出てこないのかもしれない。

今日から2月になるし、2月はちゃんと向き合う時間を大事にしよう。

吐き出す

なんだか悶々とする日々が続く。

そんなときでもやっぱり吐き出してみると少しは気が楽になる。

愚痴を吐き出すことは人にいいイメージを与えないし、一般的にいいこととはされない。

それでも愚痴ることってすごく大事だ。
溜め込むとどこかでパンクしてしまう。

昨年末は帯状疱疹になってしまった。

だから今回は言いづらいことでも信用する人達に思い切って吐き出した。

いろんな人からいろんな意見をもらえた。

最終的に判断するのは自分。

まだ決めることはできない。

それでも決めたときは覚悟を決めてやろう。

一段落して
12月に入ってから今日に至るまで怒涛の日々でした。

ジャーナリズム演習@ホームレス訪問
クロスメディア出版トライアルとその報告会
G-cafe@クリスマスパーティー(これは楽しかった)
大隈塾グループワークと発表
戦争体験者へのインタビュー(これでまさかのTBS出演笑)
DANNAmethod総会(代表になりました)
FLEDGEグループワークと発表

久しぶりにちょっとハードな日々で、帯状疱疹になったりもしました笑


とりあえず昨日のフレッジの発表が無事に終わって一安心です。
フレッジはコミュニティとして非常に面白い人たちが多くて尊敬できる先輩方ばかりです。
院進学の人が多かったり、学生団体やNPOの代表、教員志望などいろいろなタイプの人がいますが、なんていうか皆考えてることが深くてかっこいいなって思うわけです。
(この人めっちゃ頭いいなってずっと思ってたら案の定大手の企業の内定を複数蹴飛ばして院進学する人だったりして、やっぱりすごい人はどこに行っても認められるんだなと思ったり)

ただアツイ学生大集合みたいなノリも苦手な自分にとっては、ちょうどいいというか理想的な空間が形成されてるような感覚さえあったりします。

とはいえやっぱり自分は自分で比較してもその人に自分がなれるわけじゃない。自分なりの道でコツコツ積み重ねていきながら少しでも皆に追いつけていけたらいいなってスタンスで頑張っていきます。

尊敬する友人の言葉を借りると「自道を地道にいく」ということ。

自分にとっての自道が何なのか、地道に積み重ねているかをきっちり自問して進んでいきます。

しばらくインプット不足だったので、これから読書(主に歴史認識とビジネス系のものを少し)と英語の勉強をがっつりやってこうかと思ってます。