そのときの等身大の自分を綴る場です。
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ホームレス
 

先日オープン科目のゼミのフィールドワークで多摩川に行ってきました。
そこでホームレスの方の話を伺う機会がありました。

「貧困問題」という言葉からは、途上国や貧困国の問題がイメージされることが多い。
でも、日本にもたしかに貧困は存在する。それを目の当たりにした。

普段街中でホームレスの方を見かけても僕は見てみぬふりをする。
自分の中に偏見はたしかにある。
ただ実際に話を聞いてみてると、彼らは同じ人間であり、生まれながらにホームレスだったわけではない。事情はそれぞれ違えど何かしらの要因があって今に至っている。

昨今ホームレス問題は「自己責任」という言葉で語られることが多い。
ただ、今回のフィールドワークに同行してくださったドキュメンタリストでホームレス問題の取材などを行っている方がおっしゃっていた「自己責任という言葉は非常に都合のいい言葉だ」という言葉が印象的だった。

そもそも僕自身が今都内の私立大学に通う大学生という立場は、自分の努力によってのみ成り立っているのかと聞かれると、はいとは言えない。学費を出してくれる親がいて、勉強を教えてくれた先生がいて、お世話になった数々の人がいるわけで、今の自分の状況を得ることができたのは環境的的要因の方が圧倒的に大きい。その中に努力が占めている割合はどの程度なんだろうか。

生まれながらに恵まれない境遇を経験しなければならなかった人、運が悪かったが故に職を失ってしまった人たちは、自分の不運に対して責任があるんだろうか。

先生が言っていた「世の中をイス取りゲームにたとえると6人いて5つしかイスがなければ確実に一人はこぼれることになる。これを社会の構成員にたとえた場合、こぼれてしまった一人を同じ社会の構成員として見なすか否か」という視点は忘れちゃいけない。皆がちょっとした不運でいつでも当事者になりうる。

話を聞かせてくださった方は辛い環境でも強く生きている。自分なんかよりもずっと「生きる力」があるなと思った。動物に対して優しく、その人柄にはむしろ惹かれるものもある。彼のような人が社会復帰できるような社会であってほしい。

自分にできることが何のかは相変わらず見えずにもやもやしつつも、一人の人と接してみないと見えてこないものは確実にあるということを学んだ一日でした。
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