そのときの等身大の自分を綴る場です。
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ブログを通して
 「卒業」という言葉が身近なものになってきた。4月から新たな土地での生活が始まる。最近は引っ越しの準備や家族との団らん、家でぼーっと考え事をするような時間を大事にしながら卒業までに会っておきたい人とたまに会うまったりした日々を過ごしています。

大学時代にお世話になった先輩、何度も飲みに行った友人、一緒に活動をした仲間、会っておきたい人は数多くいる。そうした中で、個々人との出会いがどんなものだったかを思い出すとブログがきっかけになった人が数人いる。

受験生のときに今通っている学部の先輩のブログを見つけてコメントしたのがきっかけになったり、自分のブログにコメントをくれたのがきっかけになったケースもある。後々になって考えてみると所属するクラスタや共通の知人が複数いたわけで、ブログをやってなくても出会うべくして出会っていたような気もする。

ただブログを通して相手の価値観の一側面にわずかながら触れることができたからこそ実現した関係もきっとあると思う。ここ数年でツイッターやフェイスブックが流行ったことで知人のブログの書き込み頻度がだいぶ下がったし、僕自身も最近は放置していた。そんな自分が言うのもおかしな話だけど、ツイッターやフェイスブックよりもブログの方がなんとなく好きだったりする。

SNSはコミュニケーションのツールとしての側面が強い分、どうしてもそこで表現する自分が「こうありたい自分」になりがちで、そんな承認欲求でフェイスブック上は溢れかえっているように感じる。それに対して良い悪いを言う気はないし、ブログを書く際にも表現欲や承認欲求なんかの欲望はもちろんある。ただ、個人的には知人のブログを読むのは一人で綴っている日記をこっそり見させてもらうような感覚がある。(少しでも多くの人に読んでもらうことを目的としたブログは別として)。だからちょっとした本音が垣間見えるような感覚があるし、単純な承認欲とは別になんとなく書き留めておきたい気持ちや多数の人には読まれたくないけど一部の誰かには読んでもらいたいというメッセージを感じることもある。

僕自身がどれだけ自分の価値観をブログで表現できていたかはわからないし、それが伝わっていたかはもっとわからないけど、表面上の付き合いだけでは決してわからないような相手の価値観がわかっているからこそ話せたこと、相談できたこともあった。それによって救われたこともある。だからブログを通してできたつながりにはすごく感謝している。

フェイスブックの「いいね」や「友達」の数を意味するソーシャルメディア上のかっこつきの「つながり」、3.11後に声高に叫ばれた「絆」、就活で散々聞かされた「人脈」、どれも自分には正直しっくりこなかったし、何でもかんでもつながればOKという風潮に正直うんざりしている部分すらあった。だからしばらくは「つながり」という言葉を使うことも避けてきたし、セミナーや交流会の誘いを受けてもほとんど足を運ばなかった。でも、最近は「ああ、あの人とはブログがちょっとしたきっかけで出会うことになったんだ」と思い出す機会があると「つながり」という言葉を肯定的に捉えることができる。それは僕が知り合った人がつながって良かったと心から思える人だからなんだと思う。

親しい人たちとも社会に出たら少しずつ、でも確実に遠くなっていくと思う。一年先に社会人になった友達と会話が合わなくなってきたことは嫌でも感じる。自分も環境が変わるとそう思われる対象にきっとなっていく。だけど、細々とした関係になっても互いに学生時代の等身大の価値観をわずかでも共有することができたこの縁はずっと大事にしていきたいなあと卒業を前にして改めて思ってます。


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