そのときの等身大の自分を綴る場です。
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いつの間にか。
親元を離れて8年。気付けば随分月日が流れたと感じる。自分にとって当たり前だったことがどんどん変わっていく。亡くなった親戚や知り合いもいた。結婚や転職で人生の節目を迎えた友人たちもいる。なんとなく取り残されたような感覚を最近感じるようになった。焦らず慌てず生きていきたい
岐路に立つ
今のままでいいんだろうかー。漠然とした疑問や不安を抱えているのにどうしても日常に流されてしまう。今の職種で仕事を続けながら私生活もある程度両立するためにどうすべきか。現状で思いつく中からベターな答えは見えてきた。少しずつでも時間を作って具体的な行動を淡々と進めよう。入社したときは考えなかったけれど、転職に向けて動き出そうと思います。
原点に戻るための仕組み
気づけば最後の更新から1年以上。何気なく日々を過ごす中で、少しずつ会社の価値観に流されている。大学時代にお世話になった人から連絡をもらったのを機に、懐かしくなって学生時代のブログやインタビュー記事を読み漁ってみた。忘れかけていた大事なことがぎゅっと詰まっていて、当時の自分は今の自分を見たらきっと情けなく感じるんだろうなあと思いました。

この1年半、頑張っているつもりで実は惰性に流され、思考することから随分逃げてきました。漠然と流されていくのは楽なもので、やっぱり自分は意志の弱い人間だなあと思う。だからこそ自分を原点に戻す仕組みと習慣が必要で、不器用でも自分の言葉を紡いでいく作業は大事だと痛感しました。もう忘れ去られたブログだと思うけど、少しでも何かを綴ることで考えることから逃げずにいたいと思います。
ブログを通して
 「卒業」という言葉が身近なものになってきた。4月から新たな土地での生活が始まる。最近は引っ越しの準備や家族との団らん、家でぼーっと考え事をするような時間を大事にしながら卒業までに会っておきたい人とたまに会うまったりした日々を過ごしています。

大学時代にお世話になった先輩、何度も飲みに行った友人、一緒に活動をした仲間、会っておきたい人は数多くいる。そうした中で、個々人との出会いがどんなものだったかを思い出すとブログがきっかけになった人が数人いる。

受験生のときに今通っている学部の先輩のブログを見つけてコメントしたのがきっかけになったり、自分のブログにコメントをくれたのがきっかけになったケースもある。後々になって考えてみると所属するクラスタや共通の知人が複数いたわけで、ブログをやってなくても出会うべくして出会っていたような気もする。

ただブログを通して相手の価値観の一側面にわずかながら触れることができたからこそ実現した関係もきっとあると思う。ここ数年でツイッターやフェイスブックが流行ったことで知人のブログの書き込み頻度がだいぶ下がったし、僕自身も最近は放置していた。そんな自分が言うのもおかしな話だけど、ツイッターやフェイスブックよりもブログの方がなんとなく好きだったりする。

SNSはコミュニケーションのツールとしての側面が強い分、どうしてもそこで表現する自分が「こうありたい自分」になりがちで、そんな承認欲求でフェイスブック上は溢れかえっているように感じる。それに対して良い悪いを言う気はないし、ブログを書く際にも表現欲や承認欲求なんかの欲望はもちろんある。ただ、個人的には知人のブログを読むのは一人で綴っている日記をこっそり見させてもらうような感覚がある。(少しでも多くの人に読んでもらうことを目的としたブログは別として)。だからちょっとした本音が垣間見えるような感覚があるし、単純な承認欲とは別になんとなく書き留めておきたい気持ちや多数の人には読まれたくないけど一部の誰かには読んでもらいたいというメッセージを感じることもある。

僕自身がどれだけ自分の価値観をブログで表現できていたかはわからないし、それが伝わっていたかはもっとわからないけど、表面上の付き合いだけでは決してわからないような相手の価値観がわかっているからこそ話せたこと、相談できたこともあった。それによって救われたこともある。だからブログを通してできたつながりにはすごく感謝している。

フェイスブックの「いいね」や「友達」の数を意味するソーシャルメディア上のかっこつきの「つながり」、3.11後に声高に叫ばれた「絆」、就活で散々聞かされた「人脈」、どれも自分には正直しっくりこなかったし、何でもかんでもつながればOKという風潮に正直うんざりしている部分すらあった。だからしばらくは「つながり」という言葉を使うことも避けてきたし、セミナーや交流会の誘いを受けてもほとんど足を運ばなかった。でも、最近は「ああ、あの人とはブログがちょっとしたきっかけで出会うことになったんだ」と思い出す機会があると「つながり」という言葉を肯定的に捉えることができる。それは僕が知り合った人がつながって良かったと心から思える人だからなんだと思う。

親しい人たちとも社会に出たら少しずつ、でも確実に遠くなっていくと思う。一年先に社会人になった友達と会話が合わなくなってきたことは嫌でも感じる。自分も環境が変わるとそう思われる対象にきっとなっていく。だけど、細々とした関係になっても互いに学生時代の等身大の価値観をわずかでも共有することができたこの縁はずっと大事にしていきたいなあと卒業を前にして改めて思ってます。


ストーリー

就活を中心にストーリーベースで語ることが絶対視されすぎているように感じる。面接で「何故そう思うのか」という問いに対してやたらと物語を求めてくる。自分の主張と過去のストーリーを強引にこじつけて話せばすぐに相手に納得される。でも所詮はこじつけに過ぎないし、自分の本音とは少し違う。
就活の面接を突破するため、また日常のコミュニケーションで相手に自分の主張を納得してもらうためにストーリーを使って語ることは大事なことかもしれない。でもそのために物語のネタを必死に探して消費している姿は傍から見ると滑稽だ。

自分のモチベーションに明確な原体験がある人はそれでいいと思う。わかりやすい明確な一本の軸があるのはいいことだと思う。でも全ての人がそうじゃない。日常のさまざまな場面で受けた刺激や感動が蓄積されることで出来上がった感覚がある。それが自分の動機や原動力になる人もいる。

物事を単純化して伝えることが重要視されすぎているように感じる。わかりやすく伝えることは大事なスキルだし、そのニーズが絶えることはないと思う。「君、話わかりやすいね」と言われることが増えてから面接で落ちることはほとんどなくなった。一方、複雑なままじゃないと伝えられない人間の感情もある。そのことを忘れて単純化ばかりを繰り返していくと自分の感性が失われていく気がする。